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◆ 2014年10月

皆様お元気でいらっしゃいますか。いよいよ秋もたけなわの10月に入りました。今月は十七世中村勘三郎さんの二十七回忌と、十八世勘三郎さんの三回忌追善公演となります。十七世勘三郎先生は70代までご活躍なさいましたが、十八世は57歳という若さでお亡くなりになられ、本当に寂しい思いの残る追善公演となりますし、これからの歌舞伎界を大きく担う方々が少なくなってしまったということは本当に心細い気がいたします。  十七世中村勘三郎先生と十八世の中村勘三郎さんとは「刺青奇偶」の「お仲」と「文七元結」の「角海老の女房」などと同じ役を務めさせていただきました珍しい間柄でございます。十七世中村勘三郎先生は「盲目物語」の「淀君」に私が若いころに大抜擢してくださったのです。十八世勘三郎さんとは「お市の方」を演じさせていただきましたので、二代続いて3演目ご一緒させていただいたのです。本当に懐かしい思い出ばかりが蘇ってまいります。そういう思いを込めて十月追善公演を務めさせていただきます。  またこの10月29日から~11月2日までは八千代座で舞踊公演を開催させていただきます。ここ2年間は金丸座に行っておりましたので、久しぶりの八千代座公演ということになります。山鹿の素晴らしいお湯に浸かるのを楽しみに、そして久しぶりの八千代座での公演を充実出来ますように最大を尽くしたいと思っております。  さて、ここ数回に渡りまして「様々な伝統工芸品がなくなってきている」というお話をさせていただきましたが、前回『「銘仙」という絹織物の生地が無くなってしまった…』というお話をいたしましたら、現在では「秩父銘仙」という物が存続しているというお知らせをいただきました。「秩父銘仙」の存在を知らずに『今では「銘仙」が無くなってしまった…』などと失礼な事を申しました。その「秩父銘仙」の存在を確かめまして、舞台で着られる物があれば探したいと思っています。「銘仙」が見つかったこともありますので、また「唐桟」なども、どこかで復活されているのかもしれないという期待も出て来ました。  今月は湯呑茶碗のお話をさせていただきます。助六の「揚巻」の花道に居るところもそうですが、「女暫」で花道の連ねを申しました後にお湯を飲む形をいたします。お芝居の中では「揚巻」でも「女暫」でも私は形だけで、実際に白湯を飲むことは致しません。昔の俳優達さんは一服お湯を飲んでいたのかもしれません。このような古典で使える藍染の湯呑が40~50年前までは市販されているものでも揃えられたのですが、今では揃えることが大変難しくなってしまいました。もともと藍染の陶器は、瀬戸物に黒の絵の具で染め付けておりましたのが、シルクロードを渡って中国から日本に入ってきまして、その黒色がなかなか出ないために紺色になって行ったと聞いております。それが瀬戸物の藍染の道筋だそうでございます。伊万里などから出ました瀬戸物の藍染もあり、江戸時代には九谷のように赤、青、黄色、緑など、あるいは金を使った物もありますが、お芝居ではあまり多く色の有るものは使いません。また傾城などは特に舞台ですから大きめな湯呑を使わなければなりません。特にお湯を飲んで蓋を閉めるときには良い音がしなければなりません。いわゆる陶器のしっかりとした焼き物の音がしなければならないということでございます。そういった物を用意しなければならない役柄ですので、「女暫」では、ふたを閉める場面はありませんが「揚巻」ではそうした場面がありますので、その音が客席にはっきりと聞こえてしまいます。湯呑の大きさ、蓋の高さ、陶器の土の質の良さ、そして藍染の色の良さなどがしっかりした物を舞台で使わなければなりません。しかし今ではこういう物は特別注文しなければならないのでございます。  私が初めて染付の湯呑を買いましたのが、24歳の時に南座で上演しました「鳥辺山心中」で半九郎が酔い覚ましのお水を飲むときに使う湯呑でございました。今でも自宅に保管してありますが、40年近く経ちますのについ最近のような気がいたします。1970年代までは素晴らしい湯呑茶碗が沢山ありましたのに現在ではなかなか良い物を見つけることも難しくなりました。現代では形もデザイン的になってきまして、真っ直ぐな筒のようになった形がなかなか見つかりません。また「一本刀土俵入」の「お蔦」が飲みます湯呑茶碗などは身分のことなどもありますから、そういう生活を感じるような湯呑茶碗を使わなければなりません。「源氏店」の「籐八」に出す湯呑茶碗や「六段目」の「お軽」が使う湯呑茶碗なども、その時代や役に合った物を買い揃えなければなりません。運よく京都にある陶器屋さんで250年ほど前の湯呑茶碗を見つけましたので、それを手に入れることが出来ました。  というわけで今回は湯呑茶碗のお話をさせていただきました。古伊万里のお皿で鷺の模様が描かれたお皿を持っておりますが、裏側のお皿を置く部分が意外と雑に出来ておりまして、当時はただ使うだけのために焼いた物なのだということが理解出来ます。しかし300年~400年の月日を越えて今日まで続いて来ているという強い思い、江戸時代から戦火をくぐり抜け、こうして私たちの前に出現している貴重な物でございます。こういう物を歌舞伎の舞台で使って行く楽しさは特別な思いがあります。古都を歩いていますと、ついそのようなものに目が向いてしまうのも仕事柄の習性でございましょう。今回はこれくらいにいたしまして、またいろいろとお話させて頂きます。  皆様に歌舞伎座、そして八千代座でお会い出来ますことを楽しみにしております。

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