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◆ 2014年8月

皆様お元気でいらっしゃいますか。いよいよ7月の後半には梅雨も明け、夏の盛りとなりました。  7月の歌舞伎座興行では、私としましては25年振りとなります「夏祭浪花艦」で「お辰」を演じさせていただきました。そして夜の部では「天守物語」を充実した配役で上演させて頂きました。歌舞伎座が再開場しましてからこんなにも早く「天守物語」を上演できるとは思っておりませんでしたし、精魂込めて務めさせていただきました。お陰様で昼夜とも大入りのうちに千秋楽を迎えることが出来、皆々様に感謝申し上げる次第でございます。  さて、今月からは少しずつ歌舞伎俳優が舞台で使う物などのお話をさせていただきます。世の中には人々が生活に使ういろいろな品物が生まれ、昔からあった品物が現代でも違う生産方法で世の中に出ていました。それが今の工芸という分野になるのでしょうか。現在は歌舞伎俳優や時代物を演じる人達が使う品物をそろえることが難しくなって来たことを考えています。まず始めは様々な布地のことをお話させて頂きます。  衣装に使う「山繭」という絹の生地や「京鹿子道成寺」の衣裳の下着に使う「甲斐絹(かいき)」という絹織物です。現在の道成寺の下着には薄い羽二重で代用しておりますが、「甲斐絹」は裾がさばきやすいパリッとした絹で、とても滑りが良いものだったようです。それが現代では全くなくなってしまいました。私の時代ではすでに絹になっておりました。甲斐絹で踊ること出来ましたらどんな風合いだったのかなあ…と想像しています。  それから6代目尾上梅幸さんなどが遊女の普段着で着ておられました「銘仙」という生地です。遊女の絹の縞の普段着に主に使われておりました。明治~大正~昭和初期には市販されていたようですが、今では市販されておらず、現代では遊女の着物は「羽二重」または「ちりめん」を染めて着物にしています。「十六夜清心」の「十六夜」の着付けでは「山繭」に模様を染めた衣装で舞台に立ちますと、遠くから見ると織の地紋が光でうっすらと見えるようになっていたようです。私たちの時代にはすでにそのような美しい生地が手に入りませんでした。是非6代目の梅幸さんの写真集などを観て頂きたいと思います。その時代には実に様々な柄が存在しています。その時代の書物で読みましたら、お客様に毎回違う着物をお見せ出来るようにと考えておられたとのことでした。さすがに素晴らしい考えだったと感心しました。また私の時代には舞台の所作台も、国産の檜が少なくなり、ほとんど外国産になってしまったようです。所作台は、歌舞伎の舞台などでは、ある意味で消耗品でもありますので、1年から2年ほどで取り替えなければならないのですが、現代では国産の檜舞台というのは殆ど無いに等しいのです。また阿古屋のお琴でなどで使用しております「桐」も国産が少なくなったようです。日本産であるか、外国産であるかは、創りを見ればすぐに分かります。海外で育った桐は日本のように四季がゆっくりと流れませんので、木目の模様が急に変わっていきます。日本は夏から秋冬とゆっくりやってきますから木目の変わり目が柔らかくなりますが、海外では季節が夏から冬と急に変化しますので木目の切り替わりが荒くなってしまいます。音色にはさほど変わりはないのかもしれませんが、繊細な風合いが感じられなくなくなっているのも確かなのです。  先日聞いたはなしですが、中東の富豪国では、日本産の布を一番珍重していると聞きました。素晴らしいことです。それは、絨毯などを作っていた長い歴史も有り、良い風合いを知っているのでしょう。自分の国で作っている布の良さを十分に知ってもらいたいと心から思いました。また、近年、花火大会に行かれる二人連れが浴衣を着ている姿を観て本当に嬉しく思っております。浴衣に雪駄の履物を履いていて、帯を締めて歩いている姿が可愛いのです。時代が進んで行くとまた良い布の風合いを人々が求めてくれるのかも知れません。  今月はこれくらいにして、また続きを書かせて頂きます。まだまだ暑さも續きます。皆様くれぐれもお身体に気をつけてお過ごしくださいませ。

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