撮影者/岡本隆史 撮影地/ヴェネチア
皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
5月のコメントでは色々なお話の続きをと申しておりましたが、4月7日から3日間を下関で舞踊会を行いまして、一度東京に戻り、すぐ佐渡へ渡りまして「幽玄」の集中稽古へと入りましたため、6月のコメントとなってしまいました。
佐渡では各専門家の先生にご来島頂きまして、能楽のお囃子のお稽古や、お謡いのお稽古、お笛のお稽古、そして様々な古典のお話しなどをしていただきました。また舞踊家さん方にも来ていただき、多くの専門家の方からご指導いただきながらの「幽玄」の作品作りを毎日毎日しておりましたら5月のコメントを書くことが出来ずに申し訳ありませんでした。
お陰様で「アミューズメント佐渡」という佐渡の佐和田に有る劇場で舞台稽古を行うことが出来ました。「幽玄」は新作ですので佐渡で本番通りの稽古を行い、オーチャードホールの初日に向かいました。「幽玄」という大きな題名をつけてしまいましたために、ご観劇の皆様を落胆させることの無いようにと一生懸命作ってまいりました。どれほどのものをお観せ出来るか分かりませんが、鼓童と私が一緒に古典の勉強をしながら世阿弥が唱えました「幽玄」のような雰囲気が一瞬でも劇場の中に漂わせることが出来ましたら・・・とを願うばかりでございます。
各先生方が度々佐渡へ来てくださいました。特に亀井広忠さん(田中傳左衛門さんのお兄様)は子供のころから知ってはいたのですが、今は能楽の大鼓の専門家として鼓童のみんなに教えているところを観ていると、人というものは時が経つと専門家になっていくのだなあ・・・とつくづく考えたのでございます。
とにもかくにも、日本の良さを表現出来たらということで作ってまいりました。作品を創る時には、一つの括りがないとなかなか良い案が出てきませんし、作れないものでございます。そこで一幕目には「羽衣」を。二幕目には「道成寺」の鐘入りの場面と、「石橋」の獅子の場面を取り入れました。
「幽玄」と申しますと皆様は「幽玄能」を思い浮かべられるとかと思いますが、昔から獅子が「石橋」を渡ってくること自体も「幽玄」と言えるのだそうでございます。そのように専門家の方に教えていただきまして『獅子を入れてよかった…』とホッとしたのでございます。「道成寺」が「幽玄」と言えるのかは分かりませんが、何につけてもそのような瞬間(幽玄)が過ってくれればと思いました。
実はこれまでの鼓童の作品群は、鼓童の個性を出すための作品にと色々考えていましたが、日本の古典を基にした日本の表現をするということが直々大変だと思いましたし、体力と頭を使ったこの4月と5月上旬でした。
そのようなわけで、いろいろなご報告が出来ませんでしたが、その中で感じました東洋の文化とヨーロッパの文化というものは、信じている物の違いなのでしょうか、宗教の違いなのでしょうか、あるいは気候風土の違いなのでしょうか、不思議に自然と自分たちが過去から持っておりました音楽的なものを紡いでいくと、その国独特のものが表現できるということが分かったのです。特に日本の拍子というものは、同じ速度で刻まれずに、伸びたり縮んだり揺れたりするのです。そこで「合う・合わず」というような拍子を取っていくということの難しさと不思議さが何とも言えない物だと思いました。戦後の西洋的音楽教育とはまた違ったところを痛感したわけでございます。皆様に観ていただいて、どのような評価をしていただけるか分かりませんが、鼓童の打ち手の皆が、精一杯が打楽器、琴、笛を奏で、私はこれまで経験してまいりました日本舞踊を基準にした動きをいたします。
またその中で、日本の「侘び寂び」という話が出てまいりまして、「侘び」という言葉には『もうこれだけしかできません。申し訳ございません。』という気持ちにも「侘び」という表現がされるようでございます。この「幽玄」は、まさしく「侘び」でもございます。
最後になりますが、私は5月12日に佐渡から帰ってまいりましが、東京は大変な暑さで、佐渡の服装で帰って来まして吃驚したのでした。佐渡は4月の10日過ぎに桜が満開になりまして、帰京する5月初旬には牡丹が満開となりました。花は咲いて出迎えてくれるものなのだとつくづく感じたこの4月、5月でした。これから暑さがやってまいります。
皆さまどうぞお身体大事にお過ごしくださいませ。